宗門の明日を考える会

「宗門の明日を考える会」のブログです。

「宗門の明日を考える会」第四回総会のご報告

                                                                                                                        2023年9月1日

会員の皆さま、有縁の皆さま

宗門の明日を考える会共同代表 武田達城、梯良彦

 

「宗門の明日を考える会」第4回総会報告

 202374日(火)14時より、総会・研修会が大阪津村別院二尊堂において開催されました。猛暑のなか、たくさんの方々に集まっていただきました。厚く御礼申しあげます。以下、当日の進行に沿って簡略ながらご報告いたします。

 

                一、総会

はじめに、共同代表の武田達城が以下の挨拶をいたしました。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で中止を余儀なくされ、このたび3年ぶりに総会を開催することができました。「宗法改定」から12年が経ち、そのあいだ何らの検証もされることはありませんでした。「新しい領解文」をめぐる一連の騒動は、皮肉にも顕著な検証結果として現れたのではないでしょうか。「新しい領解文を守る会」という団体が発足したという話も側聞しました。本日は、単純に賛成や反対というのではなく、当会の立ち位置、座標軸を確かめていけるような研修会を持ちたいと考えています。よろしくお願い申しあげます。

 

 続いて、同じく共同代表の梯良彦が議長に選出され、出席者43名、欠席返信54名と報告され議事に移りました。

 

1)役員選出(案)の承認

 幹事の葛本徹哉の一身上の都合による退任の申し出が承認され、新たに吉田薫樹が幹事として承認されました。

 

2)収支報告

 事務局長の槇塲清久より、2021年度及び2022年度の収支が報告され承認されました。

 

3)今後の活動について

 ①今年度の研修会について

 今後の当会での研修会について協議されました。参加者より「血統門主制や「門主無答責」についての研修会などをしてほしい」などの意見が出され、当会は今後も「血統門主制」を問うていく研修会を開催していくことが確認されました。

 ②次号会報について

 当会会員に向けて次号会報「檄(ふれぶみ)」への原稿の執筆依頼が議長よりなされました。また、今号より「檄」の題字が手書きとなっていることが質問されました。これに対しては議長より、当会幹事で、「檄」という名称の発案者であり、現在編集を担当している福本群によって書かれた力作であると紹介がありました。

 以上で総会が終了し、休憩後に研修会が開催されました。

                二、研修会

1)基調提案

 まず、武田達城より別添の資料に沿って「宗本分離から12年の挙げ句、新しい『領解文』騒動を見据える視座」と題した基調提案がなされました。

先立ちまして「宗門の明日を考える会」の名称について、特に「宗門」という表記について報告いたします。当会の発会の時にも、なぜ「宗門」なのかという疑義が出されました。その後これまで個人的に2人の方から同じ内容の提起を受けました。これに対して逆に「宗門」ではダメという理由を尋ねますと、「宗門改や邪宗門を連想して江戸時代のような気がする」、「なんとなく封建的な匂いがする」という内容でした。わたしはあえて「宗門」という言葉は使用することにより、血統門主制を課題とすることを強調したと考えています。しかし、今後もこの議論を継続すること、場合によっては名称を変更することを拒むものではございません。よろしくお願い申しあげます。

 さて、レジュメにあるテーマに入ります。「宗法改定」より12年が経ちましたが、当時さかんに言われた財政状況を好転させるとか、激しく移り変わる社会情勢に対してフットワークを軽くするなどの理由に対して、何も検証がなされないまま現在に至っています。皮肉にも、顕著な結果として「新しい領解文」(以下、「新領解文」)をめぐる一連の騒動が目に見える形で起きてきました。宗本分離の際には、大谷家の力が強くなり、財政的にも大谷家が自由に使えるお金が増えるのだろうといったことが想像されました。例として『念仏と解放』(第7号)に掲載された西辻みなみ氏の文章(当日配布した資料〈2〉参照)を読んだところ、かなり露骨に大谷家が本願寺を私物化していこうとしているように感じます。また、『念仏と解放』(第8号)における梯良彦さんの報告には、総局が将棋の禁じ手である「千日手」を使ってまで、宗本分離を進めたことが記されています。その当時、宗法改定のために奔走したのが現総長である池田行信さんです(資料〈3〉参照)。池田さんの主張では次の2点に注目したいと思います。ひとつは、浄土真宗の立教開宗に不可欠な要素は血統門主制であるとした点、ふたつには宗教団体には議院内閣制は必要ないとした点です。これはけして見過ごすことのできない重要な発言であると思います。私たちは同朋運動において「差別の現実から出発する」と言ってきましたが、足元にある「血統門主制」という差別の現実には、触れることを避けてきたのではないでしょうか(資料〈4〉参照)。

 次に『領解文』という言葉について私の思うところを述べます。『本願寺新報』(2022年12月20日号)に淺田恵真勧学が改悔批判について書いていますが(資料裏面参照)、ここに門主の安心裁断権の問題が現れています。他力の信心を判定する権限は誰にあるのでしょうか。信心について議論することはよいことだと思いますが、その信心が正しいのか間違っているのかを判定することは、親鸞聖人でもできないことではないでしょうか。凡夫にはそのような能力も権限もないと思います。その権限を凡夫である門主が行使しているということが『領解文』自体がもつ問題性ではないでしょうか。そのように考えると、「新しい『領解文』」などといって安易に出してしまう今の門主は、そのことの重大さがわかっていないのではないでしょうか。また、のちほどみなさんから提起があると思いますが、これまでの『領解文』が真俗二諦をささえて戦争協力に果たしてきた役割なども検証していかなければならないと思います。





2)全体協議会

 引き続き、基調提案を受けて参加者による全体協議会が行われました。参加者からは、次のような意見が出され、活発な討議が行われました。

①「次第相承」という言葉は、もともと大谷家の土地の相承に関して交わされた土地契約の言葉であった。それは江戸時代まで「譲り状」として続いた。しかし、大谷家は親鸞の墓守としての立場だけではなく、親鸞の血統と浄土真宗の法統の一元化をはかり、『領解文』はその一元化を進める役割を担った。具体的には、『領解文』の「師徳」とは「次第相承の善知識」=「門主」であるとして、江戸時代には大谷家による血統と法統の一元化は完成された。門主が出す『御消息』は門徒の教化のための文書である。そういう意味では今回の新しい『領解文』が『御消息』という形で出されたことは驚くことではない。

②総局が今回、「新領解文」を従来の『領解文』(以下、『旧領解文』)に変えるとした理由は、発表されているところによると、「『旧領解文』が伝わりにくくなった」という点だけであった。いま、「新領解文」に対する批判は行われているが、『旧領解文』に対する検証や批判は行われていない。「新領解文」を批判する側にも、『旧領解文』を大切にして使い続けていく、といった意図が透けて見える。『旧領解文』にある「さだめおかせらるる御掟」という言葉は、江戸時代には幕府が民衆を統制するために出した「法度」と同一視されてきた。明治以降はそれが王法とされ俗諦と結びつき、真俗二諦の教義が確立されていく。「掟」は四恩に尽くすこととされ、絶対的な権力者である天皇のもとでの平等は、本願寺教団においては、門主のもとでの平等とされ「悪平等論」を生み出した。そして、『旧領解文』は太平洋戦争の際には、戦争や差別を肯定する文章として利用されていく。『旧領解文』の総括をせずに、ただ「新領解文」を批判するというのは、『旧領解文』の価値を認めていくことになる。そのため、安易に「新領解文」に対する賛成反対の土俵に乗るべきではない。そんな議論よりも、差別をなくし戦争をしない日本をどうしたらつくることができるのかが大切である。領解文のように「これが正しい信心だ」と言い切ることは危険であり、信心を獲ることによって起こる能動的な自己変革が妨げられる。

③次回の公聴会で「新領解文」の唱和について、「強制」なのかどうか総局に質問をしたい。これ以外でも、宗法改定以降の本山はなにかと強制してくることが多すぎる。まるでカルト宗教のようになってきているように感じる。

④「新領解文」をはじめて読んだとき、「だからなに?」といった感想しか思い浮かばなかった。このような文章を強制的に唱和させるということは、総局は私たちの思考停止をねらっているように感じる。それは「宗法改定」からずっと続いている。今頃、この「新領解文」について騒いでいる人たちがいるが、もう遅いのではないか。「宗法改定」が教団の「おわりのはじまり」であったなら、この「新領解文」はなるべくしてなった「おわりのおわり」と言うべきであろう。

⑤この騒動によって、多くの人々が「血統門主制」はおかしいと気づきつつある。しかし、混乱が嫌なので黙っているだけなのではないか。「もし、血統による門主制がなくなったらどうなるのか」といったことを皆で話し合い、なにかしらの共通点が出せればよい研修会となるのではないか。否定だけではなく、次のステップを提示できるような研修会の開催をお願いしたい。





⑥自身は宗会議員なので今回の「新領解文」の制定には責任があると感じている。これは「社会に役立つ教団になる」「よき社会人を育てていく」という総局の意図で作られた。基幹運動を続けてきたうえで、宗会議員として活動をしている議員は何人もいるのだから、その人たちは今までの活動と整合性や連続性をもって議員活動をすべきである。しかし、残念ながら宗会議員の立場に基幹運動の理念を生かし切れていない議員は多い。現総長は、法規を固めることによって、自分の意図を通す法規主義者である。これまで以上に宗会の動向を注視していかなければならない。

 

以上のような意見が出されました。それをうけて共同代表の梯より

「安心裁断権」が血統によって受け継がれていくことが問題であり、「新領解文」の内容が正しいのかどうかは問題ではありません。当会では賛成反対のどちらにも与せず、「安心裁断権」が「血統門主制」を支えているという視点から批判をしていくべきであると考えます。次回の研修会では、「新しい領解文」の正当性を問うのではなく、その奥に潜む「血統門主制」「安心裁断権」の問題について忌憚なく話し合えるような研修会を開催したいと思います。そのうえで、「血統門主制」の具体的な課題を見出し、多くの人と共有するために、当会として何かしらの形で発表していきたいと思います。

という提案がなされ、了承されました。

 1時間を超える活発な討議のあと、最後に当会の幹事である直海玄哲より

「宗門の明日を考える会」では何を書いても、何を話してもよい会である。どのような立場の人も安心して思っていることを話せる場、聴いてもらえる場となっていけるように会として成長をしていきたい。まだまだ、我が教団は「宗門」という言葉を使わなければならない教団である。いつか、「宗門」という言葉をほかの言葉に置き換えられるようになるまで、当会は会員の皆様とともにあゆみをすすめていきたい。

 と閉会の挨拶があり、全体協議会は閉会いたしました。

 総会・全体協議会のあと、場所を移し懇親会が開催されました。30名の参加を得て、協議会に続いて活発な意見が交わされました。

 以上、簡略ながら「宗門の明日を考える会」総会・研修会の報告といたします。