宗門の明日を考える会

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『広辞苑』の「坊守」の語釈問題から見えてきたもの

(当会会員である岐阜教区西順寺、前住職・現坊守の三浦真智氏より寄稿)

『広辞苑』の「坊守」の語釈問題から見えてきたもの

 

 今年1月「『広辞苑』がやばい」という新聞各紙の広告で、『広辞苑』第七版が発売開始された。特別割引価格が6月中ということで、改めて新聞広告が出されている。

 誤った語釈という理由で、「LGBT」と「しまなみ海道」との語釈の訂正だけがなされた。

 しかし、私が訂正を要望した「坊守」の語釈については、「次回の改訂において検討する」というのが、岩波書店『広辞苑』編集部の回答である。

 ここでは、この経緯についての逐一の報告わではなく、「坊守」問題における本願寺派と大谷派との比較を行うことを通じて、本願寺派における「坊守」問題の明日を考えたい。

 とはいえ、手がかりとして『広辞苑』第七版の「坊守」の語釈を見ていくと、「①寺坊の番人。②小さい寺の身分の低い僧。③浄土真宗で、僧の妻。だいこく。」となっている。編集部からの複数の新聞社への回答では、歴史的な順序で記述しているのであって、2000年代の規定については反映していないということである。①については歴史的にはありうるのかもしれないが、②についてはそのような歴史的事実はないし、明らかな差別記述であり、③については女性僧侶が30%を超える中で「僧の妻」ということはありえないから、明らかな誤りである。

 本願寺派の場合、本山宗門法規担当者に確認したところでは、宗門法規が明確に整備された1946年の規定においては住職の資格を教師にしていたという。この段階ですでに女性住職を排除する規定ではなかったのだから、「住職の妻」という規定にも問題があった。基幹運動において女性住職の場合の坊守のこの規定が問題とされ、2004年には「住職の配偶者など」(趣意)という規定への変更が行われた。このことにより、男性坊守への道が開けた。

 大谷派の場合、長く女性住職を認めない規定であったものが、坊守会連盟からの要望書、大谷派における「女性差別を考える女たちの会」からの要望書、差別事件を巡る部落解放同盟の糾弾への回答を通じて検討作業が開始され、1996年に女性住職が実現した。その後、2008年になって「住職の配偶者など」(趣意)という規定への変更が実現して、男性坊守への道が開けた。

 大谷派の同朋会運動の取り組みが住職と坊守の規定においては遅れたのと比較すると、本願寺派の規定は相対的に先立っており、特に坊守の規定については基幹運動の重要な成果である。しかし、大谷派の場合はこの取り組みの中で解放運動推進本部に「女性室」が設置され、従来からあった坊守会でも男性排除がなく、公式機関として全国レベルでも坊守会連盟の活動が保障され、宗議会での女性議員も誕生して、現在は女性参務に加えて参議会の女性副議長も実現している。また、「女性会議」や「女性住職の集い」は回を重ねている。

 本願寺派の場合は男性優位が歴然としてあり、公式機関としての坊守会はなくて、全国レベルでは全国坊守寺族女性連絡会(全坊連)が男性を排除した任意団体としてあるのみで、目標としていた女性宗会議員は実現していない。各教区に寺族女性連盟はあるが、逆に女性住職の参加は排除されている。もちろん、正式な「女性会議」や「女性住職の集い」もない。

 こうした現状の中で、本願寺派においては、宗門機関への女性参加、性別を問わない坊守の組織、さらには「住職の配偶者など」ではなくて、LGBTQに対応する「住職のパートナーなど」という坊守規定への変更などが課題となっているように思う。

 また、これらの問題を検討するきっかけとなった『広辞苑』第七版の「坊守」の語釈については、1955年の初版以来ほとんど変更されていない理由がこれまで問題にされたことがなかったからというのであるから、「他力本願」の語釈について以前に申し入れをしたように、少なくとも本願寺派として「坊守」の語釈の変更の申し入れを行うべきである。私が回答を得た範囲では真宗各宗派でも「坊守」の規定はほぼ同様であるのだから、真宗教団連合にも、岩波書店へ申し入れるように働きかけるべきであろう。 

        (岐阜教区西順寺 三浦 真智 前住職・現坊守)

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2018年6月8日付朝日新聞

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2018年3月30日付しんぶん赤旗