宗門の明日を考える会

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「宗門の明日を考える会」第二回全国集会(総会)のご報告

                     2018年5月15日
「宗門の明日を考える会」会員の皆様へ
                    宗門の明日を考える会
                     共同代表 武田 達城
                          梯 良彦

       「宗門の明日を考える会」全国集会(総会)のご報告

 若葉が萌える季節、関西では初夏の気配を感じるようになりました。皆様には日々お忙しいことと存じます。日頃は「宗門の明日を考える会」の活動にご賛同、ご参加をいただき、まことにありがとうございます。
先般、開催されました全国集会(総会)の報告を当日の進行に沿ってお届けいたします。
 2018年4月18日(水)14時より津村別院二尊堂において38名の出席を得て開催されました。また、文化時報と仏教タイムズの記者が取材に訪れました。掲載記事のコピーを参照してください。はじめに共同代表の武田達城より以下の挨拶がありました。

「当会は門主の写真が宗派より送付されてきたときに、『これはおかしい』と思った人が集まり、発足いたしました。本日の研修会の講師は大谷派の宗議会議員の訓覇浩(くるべこう)さんです。大谷派は1981年の新宗憲により宗派が本願寺を吸収し、本願寺を『真宗本廟』というお墓に戻し、先頭に立って阿弥陀如来を礼拝しつつ聴聞に励む人を『門首』としました。私たちの宗派は、それとは逆の方向に進んでいます。教団の民主化という点で、私たちは大谷派に学ぶべきことが多いと思います。本日はお忙しい中、遠近よりご参集くださいましてまことにありがとうございました。限られた時間ですが有意義な意見交換と確かめができますことを願っています。どうぞよろしくお願い申しあげます。」

 次に議長に梯良彦が選出され、議案審議が始まりました。会員数97名のうち、出席者38名、委任状40通で総会が成立したことが報告されました。

(1)役員選出の報告 
 議長より、前年度の総会において共同代表に一任された当会の役員の選出が報告されました。別紙の役員名簿を参照ください。

(2)会計報告 
 次に、事務局長の槇塲清久より、2017年2月3日から2018年3月31日までの当会の収支報告がなされました。別紙の収支報告書を参照ください。

(3)「門主写真」返還の報告
共同代表の武田達城より、「門主写真」の返還の報告が次のようにありました。
「全国の本願寺派の寺院に2016年4月7日付の行事部長名の書面と併せて、額入りの門主の写真が送られてきました。このことに疑問をいだき、大阪を中心とした志を同じくする方々に何度か集まってもらって協議を重ね、10月13日付で行事部長に質問状を送りました。しかし、回答はありませんでした。次に門主写真送付の教学的な理由を問うべく、総長宛ての要望書を全国74名の賛同者の名前と共に12月24日付で送付しました。翌2017年1月24日付で行事部長からようやく回答が来ましたが、「宗制、宗法、前例に従った」という回答でした。そして、当会の2月3日の設立総会で、会員より写真返還の総意を得て、写真100枚を丁寧に紙に包み、3月1日に武田・梯の両名で本山宗務所の受付まで出向き返却をしました。しかし、総長は要望書の提出に憤慨をしたようで、賛同者に名前が掲載されていた連研中央講師、あるいは研修講師の数人が、出講を取り消されるということがありました。それも、書面や文書が残らない形で、電話のみで通達されるという巧妙な『証拠の残らない処分』でした。
これからも、皆様の思いを集め、問題提起を続けていきたいと思います。」

(4)今後の活動について 
 武田より今後の活動について、会員の意見を募りそれを広く発信していくためのブログの開設と、紙媒体による情報発信のための会報を発行することの2点が報告されました。ブログについては、妨害を目的としたコメントの書き込みについての懸念が出され、掲載には事務局による認証制を導入することとなりました。
 なお、当会のブログのアドレスはhttp://ashitanokai2017.hateblo.jp/ となっていますので、ぜひ参照くださいますようお願いします。
 このあと、出席者から当会の活動への意見が出されました。
①さまざまな課題をもって活動している会は、この会のほかにもたくさんある。しかし、今日の講演のように『門主制』についての研修会を行える会は当会だけである。この会は『血統門主制』について考える会に特化するほうが良いのではないか。
②来年、天皇が替わるが、前回の天皇が替わった時に天皇制について議論することさえタブーになった。いま、同じことが門主制でも起こっているのではないか。血統門主制について、タブーなく語り合えるような場をもっと作ってほしい。
③宗派は『貧困問題』を取りあげるというが、築地本願寺では観光客向けにとても食べきれないほどの高額な朝食を出しており、聴聞に来た門徒が朝食を取れないということが起こっている。また、築地本願寺で行われた葬儀の報告が機関紙に掲載されるが、門主や天皇の血筋を引く人には「様」をつけているのに、他の人は「氏」をつけている。これらの矛盾は築地本願寺が宗本分離で独立したことが影響しているのではないか。
④広辞苑第七版における「坊守」の記述が誤っているので抗議をした。

最後に議長より、「当会では今後、タブーを恐れることなくさまざまなかたちで、血統門主制の是非を含む今後の教団のありかたについて議論をする場を提供していく」という方針が提案され、了承されました。


(5)記念講演
 休憩のあと、真宗大谷派宗議会議員であり元同派解放運動推進本部委員の訓覇浩(くるべこう)さんによる「真宗大谷派宗憲改正のあゆみ~血統門主制を考える~解放運動の視点から~」と題した記念講演を開催いたしました。講演レジュメと資料を参照ください。

「真宗大谷派における解放運動」とは、水平社創立の精神(資料①)から「願われるもの」「問われるもの」としての運動であり、それに呼応する者には「責任」が生じる。その呼応と責任が自分を動かしていき、また新たな願いから問いが生まれていく。そして、水平社創立の精神が東西両本願寺に問いかけるものは、僧班や寺班に代表される「差別的宗門体制の克服」(資料④⑤)、差別的な現状を肯定し見えなくするような慰安的「教化のありかたへの問いかけ」(資料②)、御伝鈔に見られるような権威づけられた「宗祖観の問い直し」(資料③⑧⑨)の3つである。この3つの問いかけは、すべて「門主制」への問いかけに通じ、水平社の創立が東西両本願寺への最初の「糾弾」と言えるだろう。また、東西両本願寺における門主(法主)=本願寺を頂点としたヒエラルキーは、天皇を頂点としたヒエラルキーと酷似しており、宗祖の思いとは遠く隔たっているということも問われた(資料⑩)。
 1962年より始まった大谷派の「同朋会運動」とは、「近代の超克」、「僧伽の建立」、「実存の回復」の3点を目指して立ち上げられた運動であり、これはいわば「時代」と「社会」と「私」の3つを問う運動であった(資料⑥)。そして、その運動の源流は清沢満之が提唱した近代教学と教団改革であった。そのような運動が展開されていく中で、1969年に大谷派難波別院輪番差別発言事件が起こった。また、同年には「靖国神社国家護持問題」や、大谷派法主(当時)が手続きを経ずに管長職を長男に譲ると独断で発表した「開(かい)申(しん)事件」が起こり、新しい宗憲を求める機運がだんだんと高まっていった。そして、宗議会で改革派が多数を掌握し、1981年に新たな宗憲ができあがった。新宗憲は「同朋社会の顕現」、「宗本一体」、「同朋公議」の三つの理念で構成されている(資料⑦)。
これからの課題として、現在の大谷派では「同朋社会の顕現」という理念が見えにくくなっているのではないか。また、この新たな宗憲は、水平社創立からの問いかけから生まれたのではなく、1969年に立て続けに起こった教団問題の決着のために作られたために、さまざまな問題が積み残されているのではないか。例えば、「見真大師の勅額」の問題などはいまだに解決されていない。大谷派では「門主制を問う」という問題を克服したと考えているために、現体制でのさまざまな問題点が、かえって見えにくくなっていると感じる。
いま、本願寺派は、宗本分離や、この会における出講停止問題のように、「門主制」という問題が現実に皆さんの身に降りかかっている。だからこそ、門主制を護るほうも必死であるし、問題を提起していくほうも、このような会や研修会を立ち上げていくのだろう。今日の研修会に参加するにあたって、私や教団は果たして教団に向けられてきたさまざまな問いや願いを受け止めて、応えているのであろうか、と改めて考えた。
問いや願いを向けてくれた人々の存在を、まるごと抱(いだ)ききって生きているのか。そういう教団に私たちは生まれかわっているのだろうか。そういう課題を、今回、皆さんと一緒に学ばせてもらった。

講演のあと、なぜ、大谷派は『血統』で門首が継承されているのかという質問に対して、訓覇さんから「新しい宗憲を作るさいに、『血統』という制度に問題意識がなく、教団問題の解決が優先されたのではないか。この宗憲にも多くの積み残しがあると改めて感じる。」とコメントがありました。また、参加者から「本願寺派の宗制・宗法より、大谷派の新宗憲の方が本来の親鸞の教えに近い。それは清沢満之以来の近代教学、同朋会運動、大谷派の現在の門首の資質や行動とそれをとりまく状況、宗議会の多数を取るという運動の明確な目標、この4つがそろい、「1969年」という70年安保をめぐる時期を得たからこそ、成し得たのではないか。これから本願寺派で門主制を問うていくには、さまざまな要素を考えていく必要がある、と教えてもらった」という感想がありました。
 最後に、当会幹事の小笠原正仁が「これからは、大谷派の方々とも積極的に連携を取り、さまざまな問題を一緒に考えていく必要を感じます。」という挨拶で、全国集会(総会)を終了しました。総会のあと、34名が参加して、講師の訓覇さんを交えて懇親会が開催されました。全国から集まった会員が、それぞれの問題意識を活発に語り合い、にぎやかながらも和やかな懇親会となりました。
 以上、簡略ですが全国集会(総会)の報告といたします。なお、当会へのご意見などはメールアドレスashitanokai2017@gmail.comまでお寄せいただきますよう、お願い申しあげます。どうぞ今後とも当会の活動への参画、有縁の方々への拡散を重ねてお願い申し上げます