宗門の明日を考える会

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「宗門の明日を考える会」研修会と協議会の報告

                    2019年11月30日

「宗門の明日を考える会」会員の皆様へ

                      宗門の明日を考える会

                      共同代表 武田 達城

                           梯  良彦

 

 もうすぐ今年も歳末を迎えます。皆様には日々お忙しいことと存じます。日頃は「宗門の明日を考える会」の活動に参画いただきまして、まことにありがとうございます。

先般、開催しました研修会と協議会の報告を当日の進行にそってお届けします。

 2019年8月29日(木)17時より真宗大谷派難波別院において40名の出席を得て開催されました。

はじめに共同代表の武田達城より以下の挨拶がありました。

 

 会員の皆様の御尽力により、当会も設立から3年を迎えることができました。先日、ある教区の宗会報告に、大阪教区の宗会議員が「もっと院号を宗門の財政対策のために増やしたらどうか」という提案をしたそうです。私たちは『対策』という言葉がよくよく好きなようです。2006年に自殺対策防止法が制定されたときに、「自死者を罰すればよい」という意見が出されたことがありました。今回の「院号を増やせ」という意見と近しいものを感じます。当会では、もっと深く宗門のありかたを問いかけていかなければならないと感じました。

 本日は当会の神戸修会員より、2019年2月に発刊されました『増補改訂 本願寺史 第3巻』を読み込んで、問題提起をしてもらったうえで、協議会を開催いたします。限られた時間ではありますが、有意義な時間となるようにしていきたいと思います。

 

(1)神戸修さんの講義

 

 『増補改訂 本願寺史 第3巻』の最終章は、近代史における本願寺と部落差別について特化された章となっている。私たちはこの歴史から何を問いかけられ、何を学ぶべきなのか、皆さんとともに考えていきたい。

 日本における近代史とは明治維新から太平洋戦争の終戦までの天皇制国家の歴史である。近代日本国家の始まりである明治維新において、伊藤博文は日本国家を「天皇を中心とする一つの大きな宗教組織」として観念づけた。本来、近代国家は宗教的・道徳的な価値観からはニュートラルな位置を取るべきである。近代日本国家はその始まりにおいて、すでに特異な存在であった。

 そして天皇制国家は、政治的な中心に天皇を位置づけた帝国憲法と道徳的規範として天皇を位置づけた教育勅語、軍隊を天皇の軍隊(皇軍)として位置づけた軍人勅諭の三つによって確立された。また、天皇制国家に反するものは大逆罪によって、既遂未遂に関わらず一審で死刑とされ、天皇は特別な存在として国家から護られていた。

 そういう状況の中で、1871年に賤称廃止令が発布される。これは表向きは四民平等を謳(うた)っているが、じっさいは被差別部落の免税特権の剥奪にみられるように明治政府の財施難対策、不平等条約の改正のための諸外国に向けたアピール、近代的な国民軍隊の創設のための国民皆兵に向けた準備など、天皇制国家確立のための発布であった。そのため、部落差別は解消されることはなく、天皇という「穢れなき存在」を国家の頂点とすることによって、被差別部落に住む人々への「穢れ意識」は助長され、差別はより過酷なものとなっていった。

 近代の本願寺教団においては、近代天皇制国家の成立当初に門主が華族に列せられることとなり、近代本願寺教団の最初から国家と天皇のへの忠誠がシステムとして組み込まれることとなった。布教使による差別法話事件によって出された「乙達三十七号」によって、被差別部落寺院・僧侶への差別制度は解消されたようにみられたが、じっさいは学林への懸籍や聴講場所、堂班制度における席次の問題などで差別的な扱いは温存されていた。

 1922年の水平社創立によって、東西両本願寺教団はその差別体質を厳しく問われていくこととなった。水平社によって提示された「民衆とともに苦悩する親鸞」像は、「貴族の末裔」「天皇家に連なる」親鸞像を挙げていた本願寺教団に受け入れられることはなく、差別的な「悪平等」論を根拠に退けられた。近代本願寺の歴史とは「差別を解消しようとする個人とそれを潰そうとする教団の歴史」と言い換えてもよいだろう。

 このような歴史を踏まえたうえで、現在の本願寺教団をみてみると、先祖返りをしているようにしか思えない。「宗門の明日を考える会」の源流のひとつは2011年になされた宗本分離への批判である。その宗本分離を主導した当時の総務である池田行信宗会議員は、宗教教団の特殊性を指摘し、国家のような民主主義や三権分立はそぐわないとした。そのうえで、宗本分離をポストモダンの教団のありかたとして最適であると擁護し、近代的な理念ではなく伝統相承・次第相承を中心的な理念とするべきであると主張した。この主張は、第3回総会で講演した藤本信隆会員の言葉を借りるならば、明治以降の近代天皇制国家の確立との「同心円的な類似性」を示すものである。人権や平等、民主主義といった近代的な理念を否定する教団の動向を私たちは注視していかねばならない。

 現在のこのような教団の姿を考えると、私たちはもはや教団の力を頼むのではなく、私たち自身の手によって私たち自身を解放していくしか方法はないのではないだろうか。いまこそ、そのことを歴史から考え、歴史から問われていると強く感じている。

                            以上

 

(2)協議会

 

休憩の後、梯良彦共同代表を議長として協議会が開かれました。この協議会は、「宗門の明日を考える会」第3回総会(2019年4月11日津村別院総会所にて開催)で提起された、当会会員の山田敬之宗会議員による通告質問が宗会議長より取り下げを要求される、という案件を主な議題といたしました。

まず、武田達城共同代表より次のような挨拶がありました。

 

 当会会員で宗会議員である山田氏は宗会への立候補の時に、宗本分離は間違っているという文書を出された。私と同じ思いの宗会議員が初めて現れてくれたと嬉しく思った。その山田議員が宗会で「門主制」について質問しようとしたところ、さまざまな圧力がかかって、質問を撤回せざるをえなかった。「宗門の明日を考える会」は血統門主制を主な課題としているが、ただちに血統門主制を廃止せよ、などと主張しているわけではない。「血統門主制」を課題としてみんなで考えていこう、という会である。しかし、宗会議長が山田議員の通告質問を取り下げさせたということは、宗会において血統門主制については触れてはいけない、話してはいけないという風潮があるということであろう。もう一度、事実を確認して、このことを我々がどう受け止めるかということを協議していただきたい。

 

(3)問題提起と経緯の説明

 

 次に山田会員の所属寺住職で当会会員の木南康昭会員から、第3回総会での問題提起の趣旨説明と、山田議員がこの協議会への欠席を決めた経緯の説明がありました。

 

 第313回定期宗会(2018年2月末開催)において、山田議員が通告なしに「門主が総長候補を指名し、宗会がその中から選挙で選ぶという今の方法は、封建的ではないのか」という質問をしたところ、事前に質問内容は書面にして出すように言われた。そのために、次の宗会では「私たち門徒宗会議員は門主制について理解しがたいところがある。門主制の是非を問うのではなく、門主制が制度としてどのように機能しているのか教えてほしい」という文書を提出した。そうすると、宗会議長より自宅に直接電話があり「こういう質問はしないように」との要請があった。そのために質問を断念した。

 山田議員には、この経緯を当協議会で説明していただきたいと頼んだが、当選1回目の門徒宗会議員であることもあり、自分の行動が宗会内部だけでなく当会のような外部団体に取り上げられたことによって出席を躊躇された。もし、山田議員の後押しをしてくれるような僧侶宗会議員がいれば、この場に出てくることができたのではないか。そのような僧侶宗会議員が存在しないこともまた、問題であろう。

 

以上のような、問題提起と経緯の説明がなされました。そのあと、当会会員の宗会議員より「2013年に安倍首相の靖国参拝について、宗門の見解を問う通告質問をしたが、その時も山田議員と同じように議長室に呼び出され、1時間近く質問の撤回の要請がなされた。議長や先輩議員、同じ教区の議員などから圧力がかかってくることはよくある。」という事例報告があり、活発な議論が始まりました。

 

(4)協議会での主な意見

 

協議会で出された主な意見を報告いたします。

◎通告質問という制度は、本来は議論が円滑に進むための制度であり、今回のように「検閲」のために制度が使われるのはおかしい。

◎個人名で総局あてに通告書を何度も出してきた。文書にて検討をお願いすると言っても、総局や議長は必ず電話での対応で、いっさい文書での回答はもらえなかった。そのあと、知人の宗会議員から「そういうことはやめてくれ」「君にも子供がいるんだから、龍大に行ったらにらまれるで」などと何度も説教をされた。まったく関係のない人から圧力をかけられたようでショックだった。

◎いまの本願寺教団を見ていると、「門主」という言葉が戦前の日本の「国体」という言葉に似ているように思える。だれもその言葉の意味を理解しないまま、いたずらに「タブー」としておそれひれふしてきた。質問の内容がどうかという問題より、門主という言葉を使うことさえ不敬だという意識が教団内に蔓延していることが問題である。

◎総局の門主制に対する過敏な状況が見えてきているが、今回は議会側が山田議員に自主規制を強いたということこそが一番の問題である。自主的に取り下げさせることによって、山田議員の改革への熱意を削いでいく手法である。質問内容自体は、官僚ならば対応できたはずだ。しかし、あえてこのような対応を取ったということは、今の政府にも見られるような戦前回帰のような風潮が教団内に蔓延しているように感じられる。

◎山田議員がこれ以上問題が大きくなることを望んでいないのであれば、山田議員の名前を出しての運動は難しいと思う。しかし、山田議員がたずねたかったことを「宗本分離以降の門主制のありかた」のような内容での質問状は当会から出せるのではないか。

◎このような状況の中で、当会が質問状などの行動をすると、山田議員の名前が出ていなくても、けっきょくは山田議員が矢面に立たされることになるだろう。当会としては、山田議員を守り、その活動を支える方向での活動を考えるべきではないか。

 

(5)当会の対応と今後の活動について

 

 当会のこの問題提起に対する対応と今後の活動について、武田共同代表より次のような提案があり了承されました。

 「当会としては山田議員の名前を出しての行動はひかえて、山田議員を励まし支えていくという方向を取りたいと思う。もう一つの活動としては、門主の写真を丁重に返したものの、当局からも何の反応も無く、当会もその後の活動につながっていない。「写真を返した」という事実はこれからも永く残っていくであろうから、そのことを前面に押し出したような活動を、今日のような勉強会を含め考えていきたい。

また、宗会という私たちの意見を反映させる場を大切にしていきたい。具体的には、当会で積極的に傍聴をしていき、独自で宗会報告などを出していきたい。当会の会員も300人を超えてきた。文書媒体で、もっと拡散をしていきたいと思う。」

 

(6)その他

 

 その他に、大阪教区の和田会員より次のような問題提起もなされました。

「2019年7月11日から12日にかけて大阪教区寺族婦人会での研修会旅行が行われた。2日目に国会議事堂の見学があり、教務所長の紹介で自民党の谷川とむ衆議院議員が案内した。議場での説明の時に、谷川議員は議長席を指さし「投票の時にのろのろ歩く野党議員もいますよね。」などと野党側の議員を揶揄した。このことを問題と思い、翌日13日に教務所長に取り次ぐように教務所職員に依頼したところ、14日に上司に相談したうえで連絡するとの返信があった。別途、「特定の政党を揶揄するような言葉があり、とても不快であった。教務所長との面談を希望する」という内容の手紙を教務所長宛てに出した。しかし、どちらからも返答はなかった。

7月29日に電話にて教務所長との事務所での面談を本人に要求した。しかし、所長は「私の予定は私自身では把握していない。夏季休暇にも入る。」などと言い面談を拒否した。それ以降、面談はされていない。」と応えた。

 この問題提起に対して、議長の梯共同代表は「一番の問題は、特定政党を揶揄するような発言が大阪教区の研修会の中で行われたということであろう。和田会員と教務所長との面談が行われたあとに、まだ和田会員が問題とするのであれば、当会から質問状などの対応をとりたい。」と応え、今後も当会の課題として対応していくこととなりました。

 

 総会のあと、30名が参加して懇親会が開催されました。全国から集まった会員が、それぞれの問題意識を活発に語り合い、にぎやかながらも和やかな懇親会となりました。

 

 

 以上、簡略ですが研修会・協議会の報告といたします。なお、当会へのご意見などはメールアドレスashitanokai2017@gmail.comまでお寄せいただきますよう、お願い申しあげます。どうぞ、今後とも当会の活動への参画、有縁の方々への拡散を重ねてお願い申し上げます。                           

                             合掌